『後拾遺(ごしゅうい)和歌集』 藤原通俊 撰(1086年)

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『後拾遺和歌集』(ごしゅういわかしゅう)藤原通俊(ふじわらのみちとし) 撰(1086年)
・第四の勅撰和歌集。
・72代 白河天皇の勅命。
・女流歌人が目立つ。

<成立>
応徳3年(1086年)

・和泉式部(いずみしきぶ)、相模(さがみ)、赤染衛門(あかぞめえもん)、伊勢大輔(いせのたゆう)など女流歌人が目立つ。

 

『拾遺(しゅうい)和歌集』 花山院 撰(1005年)

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『拾遺和歌集』(しゅういわかしゅう)花山帝 撰(951年)
・第三の勅撰和歌集。
・65代 花山天皇の撰、もしくは藤原公任の説も。
・平明優美な歌風が特徴。

<成立>
寛弘2年(1005年)

・『古今和歌集』、『後撰和歌集』、『拾遺和歌集』を三代集という。

 

『後撰(ごせん)和歌集』梨壺の五人 撰(951年)

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『後撰和歌集』(ごせんわかしゅう)梨壺の五人 編(951年)
・第二の勅撰和歌集。
・62代 村上天皇の勅命で選ばれた。
・詞書が長くなり、物語化の傾向が強まる。

<成立>
天暦5年(951年)

<撰者>
「梨壺の5人」
•  清原元輔(きよはらのもとすけ)(42)・・清原深養父(36)の孫。清少納言(62)の父。
•  大中臣能信(おおなかとみのよしのぶ)(49)・・伊勢大輔(61)の祖父。
•  源順(みなもとのしたごう)・・三十六歌仙の一人。
•  紀時文(きのときぶみ)・・紀貫之 (35)の息子。
•  坂上望城 (さかのうえのもちき)・・坂上是則(31)の息子。

 

 

『古今(こきん)和歌集』紀貫之ほか 撰(905年)

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『古今和歌集』(こきんわかしゅう)紀貫之ほか 編(905年)
・最初の勅撰和歌集。
・60代醍醐天皇の勅命で選ばれた。
・優美で繊細な歌が特徴。

・成立:延喜5年(905年)

<撰者>
・紀貫之(きのつらゆき)
・紀友則(きのとものり)
・壬生忠岑(みぶのただみね)
・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

・後世の和歌の美意識(雅さ)の模範となる。

・巻頭の「仮名序(かなじょ)」(平仮名の文)は紀貫之。
「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」

巻末の「真名序(まなじょ)」(漢文)は紀淑望(きのよしもち)。

・歌数は約1100首。

百人一首の出典。勅撰和歌集10集。

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・百人一首の出典・勅撰和歌集10集

和歌集名 成立年(元号) 撰者 勅撰者
古今和歌集 905年
(延喜5年)
・紀貫之(35
・紀友則(33
・凡河内躬恒(29
・壬生忠岑(30
醍醐天皇
後撰和歌集 951年
(天暦5年)
・清原元輔(42
・源順
・大中臣能宣(49) 他
村上天皇
拾遺和歌集 1004年頃
(寛弘2年頃)
・花山院
(藤原公任(55)とも)
花山院
後拾遺和歌集 1086年
(応徳3年)
・藤原通俊 白河天皇
金葉和歌集 1127年
(大治2年)
・源俊頼(74 白河院
詞花和歌集 1151年
(仁平元年)
・藤原顕輔(79 崇徳院(77
千載和歌集 1188年
(文治4年)
・藤原俊成(83 後白河院
新古今和歌集 1205年
(元久2年)
・藤原定家(97
・藤原家隆(98) 他
後鳥羽院
新勅撰和歌集 1235年
(天暦5年)
・藤原定家(97 後堀河天皇
続後撰和歌集 1251年
(建長3年)
・藤原為家 後嵯峨院

 

『本朝文粋(ほんちょうもんずい)』藤原明衡 編(11C中期)

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『本朝文粋(ほんちょうもんずい)』藤原明衡(ふじわらのあきひら) 編(11C中期)
・平安後期の漢詩文集。
・14巻・427編。
・52代嵯峨天皇から68代後一条天皇まで、17代200年間の詩文。

・「文選(もんぜん)」の体裁にならって39類に分類・撰集。

 

・藤原明衡(987-1066)・・文章(もんじょう)博士。藤原式家・宇合(うまかい)の後裔。

明衡が編集した往来物(書簡文例集)『雲州消息』(うんしゅうしょうそく)(通称『明衡往来(めいごうおうらい)』)に年始の挨拶文例があり、これが年賀状の元になったといわれている。